まちづくり協議会、コミュニティセンターについてご案内します。

 

 
 
 
 
 

人権推進部会視察研修
「中江藤樹記念館」と「清水安三記念館」~        人権推進部会

 

10月24日(木)に滋賀県高島市の「中江藤樹記念館」と「清水安三記念館」を13名のメンバーが訪れました。日本でいち早く陽明学の根本である「致良知」(チリョウチ)の教えを説いた中江藤樹には、生涯において数名の弟子がいたそうですが、その一番弟子を豪語するのが桐原学区に縁のある熊沢蕃山です。ここでは、中江藤樹のひととなりをアニメーションビデオで学ぶと共に朱子学と陽明学の違いについて勉強しました。自己の外にある事物を追求することによって心理を得られるという考え方の朱子学と、自己の内にある生まれながらに備わった直感的道徳力を磨くことによって心理を得るという陽明学・・・何だか少し難しいですが、簡単に云えば“形”と“心”の違いだそうです。1790年には「寛政異学の禁」の発令によって陽明学は弾圧されましたが、日本に及ぼした影響は大きくて、幕末の西郷隆盛や吉田松陰、近代では三島由紀夫なども陽明学を追究した人々です。この時代に学問ができる立場にあったとしたら、どちらを選択していただろう?と、そんな思いが頭をよぎりました。

 「学而事人」(ガクジジジンこれは清水安三が生涯大切にした言葉です。学問は決して自分のためにだけするものではありません。身につけた力を社会に役立てることが大切ですという意味です。十代の頃に近江八幡市と縁の深いブォーリズと巡り会い大きな影響を受けた彼はクリスチャンとなり、大学卒業後に宣教師として海を渡ります。最初に災童収容所を設立、第2次世界大戦前の中国北京市朝陽門外において貧しい子女や差別や迫害を受けている子女の為に小さな学校を設立し、愛の教育を実践しました。現地には現在も清水安三の銅像が建ち、中国においては大変に珍しいことだそうです。終戦後、帰国した彼は東京に桜美林学園を創設します。学問に限らず、全ては自分の利益のために行うのではなく、人に奉仕するために努力すべきとした教えは今も脈々と受け継がれています。

 最後に清水安三が63歳に詠んだ詩を紹介します。『約されぬ器にしあれど聖たれ聖たれよと聲うちに聞く』この詩には郷土の「聖人」中江藤樹を師と仰ぎつくったものだとされています。短時間ではありましたが、この研修を通して二人の偉人が励まれた姿を垣間見ることが出来、こころ穏やかな気持ちになりました。

 

 

 

   

☆人権尊重のまちづくり懇談会のための
  推進員&自治会長 事前説明合同研修会

令和元年7月27日(土)

※推進員:人権尊重のまちづくり推進員および男女共同参画推進員

 7月27日(土)に『人と人とのつながり ~学び 気づき 行動へ』をコンセプトに、毎年この時期から各町で開催されるまちづくり懇談会にむけて、自治会長と推進員による合同研修会を事前説明を兼ねて開催しました。

 お互いが違いを認め合い個人としての尊厳が重んじられ、それぞれの個性や能力を発揮しながら安心して暮らして行けるまちづくりをめざすためには、最も身近な地域(自治会など)から発信される人権学習会(まちづくり懇談会)が必要だと考えます。この日に視聴したDVDは「明日咲く」というタイトルで、大きくは男女共同参画をテーマにとりあげたものですが、その中には人としての自尊心や子どもの人権、また“LGBT”などにも触れられており、感慨深い内容になっていました。昨年同様70名ほどの参加者がありましたが、各自治会の研修会に対する反応は悲喜交々(ひきこもごも)で、今後の開催にむけて課題を残すところとなりました。

 

 

 

 


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